白血病闘病記

 

 

「はぁ~、疲れた」

 

二週間ほど前でした。

オープン前の仕込みをしていたぼくは、その場にしゃがみこんでしまいました。

 

 

「だめだ、立ってるのがつらい」

 

さっき掃除の済ませたばかりの客席に座り、スマホを手繰る。

 

「少し休憩しよう」

 

SNSやニュースサイトをザッピングしながら落ち着くまで時間を浪費し、再び作業にもどりました。

 

 

「おれって、こんなに体力なかったっけ?」

 

 

数日後、やはり同じように仕込みの途中で立っていられないほどの疲労を感じ、客席に体を横たえてしまいました。

 

「なんだか最近、妙に疲れやすいな・・・」

 

貧血のようにクラクラとして立っていられないのではなく、17時間の肉体労働を終えた直後のような疲労です。

仕込みを開始してからまだ一時間ほどなのに、ひたすら体が怠い。

 

「おれって、こんなに体力なかったんだっけ??」

 

客席で呟いたぼくの言葉が、空を切ります。

 

お前は根性と体力だけは人より、ある。

太めのため息と共に、前職場の社長にいつか言われたコトバが自然と反芻してきます。

 

大抵のことは褒められないぼくが唯一褒められた評価を、ぼく自身が過信していたのかも知れません。

 

一時間ほど作業をしただけで立っていられないほどの疲労に打ちのめされてしまう自分が情けない。

 

 

いや、もしかしたら。

 

 

「なにかの病気なのかも」

 

 



 

 

 

小学生の頃でした。

 

母から一冊の児童書が支給されました。

 

 

バブル世代の母をもつ地方在住の母子家庭にありがちな「マーフィー・努力嫌いの成功法」と村上龍の「ニューヨークシティマラソン」が本棚に並ぶ我が家にやってきたそれは、まさに「支給」という表現がぴったりでした。

 

 

「金色のクジラ」

 

急性の小児白血病を発症した児童とその家族が支え合って病気と戦う物語です。

 

 

当時、その作品を映画化するにあたり児童の兄や友人役を撮影地である静岡県下の子供に演じさせようという企画があり、なぜかその話を仕入れた母はぼくと妹を勝手にオーディションに応募していたのです。

 

どうして自分の子供が子役になれると思ったのか、今となっては本当に思考回路を疑いたくなりますが、とにかくぼくと妹はオーディションまでに原作を読んでおくように指示されました。

 

 

オーディション当日、学校帰りのぼくと妹は母の運転する車で会場へ向かいました。

母親が運転する車で現場入りするという点だけは、さながら宮沢りえのように大物です。

 

会場内は静岡県の総人口を超えるほどの小学生でごった返していました。

上級生も下級生も入り乱れ百人ほどが会議室のようなスペースに並べられたパイプ椅子に着席し、オーディション開始です。

 

制作担当者の挨拶もそこそこに、実演がはじまります。

 

配られた台本をもとに指示されたセリフを順番に読み上げる形式の集団オーディションです。

 

嫌々やって来たぼくとは違い、ほとんどの参加者は自発的に応募してやってきた子役志望の小学生です。

 

さながらYahoo知恵袋のコメント欄のように誰もが戦意をギラつかせていて、強い闘志を剥き出しにして台詞を読み上げます。

 

一人目の子が台詞を読むと、次の子は一人目の子よりもさらに抑揚をつけて読みます。

 

さらに次の子は前の子よりも評価されようと身振りをつけて台詞を読み上げ、

 

その次の子にいたっては、本当に涙を流さんばかりに演じるというジンバブエ並の演技のインフレが発生し、

 

10人目にさしかかる頃には、宝塚歌劇団の入団テストさながらの奇妙な抑揚のセリフ回しになっていて、

 

悲しいセリフなのに今にも歌いだしてしまうくらいリズミカルに叫ぶのです。

 

「救急車にのってぇぇ~♪ 行ってしまったのほほほほ~~♪」

 

 

 

・・・おまえが医者へ行け。

 

心の中で悪態をつきながら、自分の順番になったぼくはフツーに音読し、見事ソッコーで落選。

 

特に残念がりもしないバブル世代の母の本棚に、マーフィー、村上龍、「金色のクジラ」が並んだのでした。

 

 

 

そんなエッジの効いた原体験をもたらしてくれた「金色のクジラ」の中で急性白血病の初期症状が描写されていました。

 

「とても疲れやすくなった」

 

頭の片隅に残っていたその表現を不意に思い出し、ここ数日の異常な疲労に悩まされている自分に重ね合わせ、ぼくは次のように結論付けました。

 

 

「おれ、白血病かもしれない」

 

 

 




あらゆる病気はそうです。

 

年齢も性別も関係なく、無慈悲で不公平です。

 

社会的地位も美醜も年収も関係なく、ランダムにめくったカードがジョーカーだったりします。

 

公衆衛生も医学も水準の高い日本に生まれ育ったのでつい忘れがちですが、病はいつもぼくらの日常と隣合わせです。

 

おとなしいタイプだから穏やかに人生を歩んでいるように見えて、実は闘病中だったりします。

 

疎遠になっていた同級生の奥さんが数年前から入退院を繰り返していたと知って驚いたりします。

 

十代の頃一緒に馬鹿騒ぎしてたあいつは、もう空の上だったりします。

 

最愛の家族だって、いつかは病気になります。

 

それが5歳で発病するのか、80歳で発病するのか、それは誰にもわかりません。

 

その時点ではまだ顕在化してないだけで体内では確実に病は進行します。

 

幸いなことに、ぼくの場合、「異常なほど疲れやすい」というシグナルのお陰で気づくことができたに過ぎないのです。

 

 

健康。

それは失ってはじめてその尊さがわかるものだったりします。

 

 

白血病ともなれば、医療費もかかるし働けない期間も増えます。

 

事業融資を受けて開業したので、ぼくにはまだ借金が残ってます。

 

働けない期間が長引けば、返済が滞ってしまうかもしれません。

 

営業をしなくても、店は維持費がかかります。

 

闘病中で働けないにも関わらず、毎月数十万円の維持費がのしかかってくるのです。

 

場合によっては、店の家賃が支払えないというケースもありえます。

 

大家さんに迷惑はかけたくないので、可能であれば計画的に廃業して病気と向き合いたいです。

 

収入がなくなれば、自宅の家賃水道光熱費の支払いもままならないかも知れません。

 

下降しだしたら、その速度はとどまることを知りません。

貧困線以下の生活水準にも関わらず、闘病を続けなくてはならないのです。

 

 

家族の看病や介護で身の回りのことがままならなくなってしまうという話はよく聞きます。

 

これまでまさか自分の身に降りかかるなんて想像もしませんでしたが、今、目の前には暗がりの中で必死に闘病する現実の自分がうっすらと輪郭をあらわしてきています。

 

 

治療費、仕事、家族、医療保険。

様々な単語が頭の中をぐるぐると周りながら撹拌していきます。

 

病気ひとつで人生の航路をガクッと変更しなくてはならないほど、個人の力は脆弱です。

 

社会的弱者の為のセーフティネットはあれど、それがどれほど有効なのかは判然としません。

 

こんな時、やはり頼りになるのは人的リソースです。

 

普段から他人に親切に接していれば、困ったときに相談くらいはのってくれます。

 

 

 



 

 

 

 

「早めに検査したほうがいいよ」

 

相談した看護師の友人は、さすが看護師といった具合に色々と教えてくれました。

 

「白血病の場合、血液検査ではっきりと数値に異常が出るから発覚しやすい病気なの。だから毎年の健康診断で偶然みつかるケースも少なくない」

 

昨年、仕事を辞めて以来、ぼくは健康診断を受診していませんでした。

 

やはり自分の体に過信があったのでしょう。区の検診もめんどくさいという怠惰な理由で受けませんでした。

三十代半ばなのでもう少し自分の体に気を使うべきだったのです。

ましてやこの一年でタバコも吸うようになったし、お酒を飲む頻度も格段に増えました。

 

 

「で、血液検査で異常が認められたら、次は骨髄の検査」

 

「骨髄の検査って、まさか、あの???」

 

「そう。太っっっとい針を腰骨に射して骨髄液を抽sh」

 

うわわわわわわ~~っ!!!!

言いきる前にぼくは思わず叫び声をあげてしまいました。

 

想像するだけで背筋が凍ります。

 

そう。

たしか金色のクジラにも描かれていました。

以前、髄膜炎疑惑で死にかけた時も先生に言われたアレです。

 

「……麻酔が効いてても飛び跳ねるくらい痛いらしいよ」

 

 

ちょちょちょ、余計な情報はいいから!!!!

 

 

その飛び跳ねるって表現、妙にリアルで怖いから!!!

 

 

 

人よりも少し短い人生でした。

晩年、彼は飛び跳ねていました。

 

 

 

そんな弔辞ぜっっったいヤダ!!

 

「とにかく、早めに血液検査だけでも受けてね」

 

「う、うん。そうだよね」

 

刺されてもいない注射の痛みを感じながら、ぼくは自分の腰のあたりをさすりました。

 

 

 



 

 

 

 

決戦の金曜日、受付を済ませて呼ばれた病室で医師に症状を説明しました。

 

しかし今のところ「症状」と呼べるものは「疲れやすい」という点だけなので、説明が難しいです。

 

看護師の友人からは「本で読んだので白血病だと思う」という言い方はやめた方がいいとアドバイスを受けていたので、たいへん疲れやすいという症状を具体的に説明しました。

 

「以前はそんなことはなったんですが、すごく疲れやすいんです。例えば一時間ほど作業をしていると、疲れて座り込んでしまうという感じです。そのまましばらくして復活することもありますし、体を横たえて一時間ほど休憩することもあります。その症状は先週からです」

 

「貧血のような感じですか?」

「いえ、まさしく『疲労』って感じの疲れです」

「だるいってことですね」

「ええ、それに近いです」

「頭痛はありますか」

「ありますが、元々偏頭痛があったりするので、疲れと頭痛は関係ないと思います」

「頭痛の時はお薬は飲んでますか?」

「基本的にはひたすら我慢します。耐えられない時だけ市販薬を持ち歩いているのでそれを飲みます」

「昔から疲れることはありましたか?」

「いえ、ありません。少なくとも一時間ほど立ち仕事をしているだけで座り込むような疲れを感じたことは今までありません」

「働きすぎということはありませんか?」

「労働時間は以前の職場よりも格段に短いです。前職の頃も作業中に疲れて座り込んだことはありませんでした」

「夜は遅いですよね?」

「その分、朝も遅いです」

 

 

たしかに、看護師の言うとおり「白血病だと思う」とは言わないほうが賢明のようです。

自分は○○病だ!と患者サイドが決め込むのは、診断に間違ったバイアスがかかってしまうようです。

 

あらゆる病気の可能性を排除せずに問診する医師のやり方に、なんとなく「職人の腕」のようなものを感じます。

 

いわば技術力です。

 

きっとどんな仕事にも知識より腕が生きる局面があるんだろうなぁ。

静謐な処置室で採血をされながら、ぼくはぼんやりとそんな事を考えていました。

 

 

「検査結果は月曜日に出ます。予約はいりませんので、月曜日にいらして下さい」

 

採血を終えて料金を支払うと、領収書と一緒に処方箋が差し出されました。

 

念のため「元気になる漢方薬」を服用するようにとの指示と一緒に、近隣の薬局のチラシが添えられています。

 

「このチラシを持って行くと、こちらの薬局でカレーがもらえますから」

 

受付の事務員さんの意味不明な言葉が虚空に漂っています。

 

 

え???? カレー????

 

 

チラシに目を落とすと、「処方箋のご用命は当薬局へ。初回のみレトルトカレーをプレゼント」という趣旨の表記が。

 

 

レトルト、カレー????

 

 

国家予算の社会保障関係費のうち医療費に12兆円を費やす我が国でも、調剤薬局は「レトルトカレープレゼントクーポン」を配布して集客を図っているという事実に、ぼくはなぜかニヤニヤが止まりません。

 

説明しづらいおかしみを噛み殺しながらクーポンを握りしめて薬局へ行くと、受付のお姉さんが美人だったので、ぼくは即おもいました。

 

「この薬局の常連になろうっ!!!!」

 

カレークーポンなんかよりもやっぱり美人の受付だよね。

集客における身も蓋もない不都合な真実です。結局クーポンなんてそんなものです。

ぼくは身をもって自分の店の集客戦略を改めるべきだと悟りました。

当店では美人スタッフ募集中です。

 

 




ドタバタとした週末を一歩でまたぎ、決戦の月曜日。

 

朝、ぼくは頭髪の右半分がハゲる夢をみました。

 

きっとこれから始まる抗がん剤治療を意識しながら眠りに就いたせいだと思います。

 

 

「夢だ、よかった」

そう呟いてみたものの、これから実際に副作用でハゲていくんだと思うとなんだか悲しくなります。

 

実際に血液のガンである白血病は治療の過程でハゲるらしく、金色のクジラでも小学1年生の主人公がハゲる描写があり、当時のぼくは子供ながらにゾッとしました。

 

 

「ああ、行きたくないな」

 

今日は血液検査の結果が出る日です。沈んだ心に引っ叩いて家をでました。

 

 

夕暮れ時の冷たく乾燥した外気から逃れてやってきた医院の待合室はなんだか物悲しく、荒廃した世界からここだけが切り離された暖かな空間みたいな気分です。

 

十分もしないうちに名前を呼ばれ診察室に入ると、医師は開口一番、言いました。

 

 

 

「血液検査の結果ですが、実は、こういうケースは初めて見ました」

 

 

 

 

……え?

 

 

 

 

……初めて見ました。ですって????

 

 

 

 

もしかして:極めて稀な難病では??

 

 

 

 

 

一気に全身から血の気が引くのがはっきりとわかります。

 

 

 

 

 

「あの、、、、」

 

 

聞きたくない気持ちと、受け入れる覚悟がせめぎ合います。

 

 

「あの、、、、どこか問題があったんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

「いえ、」

 

医師はおもむろにぼくの目を見て続けます。

 

「いえ、基本的には問題はありませんでした。ただ、」

 

 

 

 

「ただ?」

 

 

 

 

「ただ、悪玉コレステロール値が低いです」

 

 

 

 

「・・・・・・?」

 

 

 

 

「・・・・・・」

 

 

 

 

「・・・・・・?」

 

 

 

 

「・・・・・・」

 

 

 

 

「それって、、、、」

 

 

 

 

「『悪玉』ってのは便宜上『悪玉』と名付けてますが、少ないのはそれはそれで問題なんです」

 

 

 

 

「体調不良の原因が悪玉コレステロールの不足ってことですか?」

 

「そうですね」

 

すると医師は一枚のリーフレットを取り出して説明をはじめました。

「健康的な食生活をと意識しすぎて、肉や揚げ物を摂らない生活をしてませんか?」

 

「いえ、そんなつもりはありません」

 

「たとえば」

 

『血中脂質を上げない食事のコツ』と題されたリーフレットのイラストを指差しながら続けます。

 

「油ものを避けたり、甘いものを避けたり、ダイエットの為に炭水化物を避けたり」

 

「油ものは仕事で扱ってますし、甘いものばかり食べてます」

 

「そうですか。症状は食生活で改善できるので、このイラストの反対の食生活を意識しながらバランスよく食べて下さい」

 

「反対の食生活、、、、」

 

血液検査の数値が書かれた紙と、脂質異常症の為の食生活のリーフレットを渡されました。

 

「それでは、待合室でお待ち下さい。薬も引き続き飲んで下さい。食生活は意識して少しだけ変えてみて下さい。では」

 

「・・・・・・ありがとうございます」

 

 

 

今回は検査もないので、文庫本一冊分くらいの診察料金です。

 

 

受付で支払いを済ませて外へ出ると、不意にため息が漏れてしまいました。

 

「……セーフ……なのかな?」

 

 

とりあえず白血病が体調不良の原因ではありませんでしたが、コレステロール不足の名も無き病であるととに変わりはありません。

 

 

謎のアルファベットと数値が並んだ血液検査の結果を眺めて、思わず呟きました。

 

 

 

「肉……油……」

 

 

どちらも大量摂取は三十代のおじさんにとってはキツイです。

 

「あーあ、できれば毎晩お刺身たべたいなぁ」

「肉、油。普通は控えろって言われるものなんだけどなぁ」

「医者公認だからってべつに嬉しくはないんだよなぁ」

「油飲んだら疲労が改善される? そんなバカな」

「そういえば友だちが言ってたっけ、肉とマヨネーズが好物だって」

「そういう食生活ならオレの疲労も解決するんだろうなぁ」

「でもあいつ、いつも顔がテカってるなぁ」

「疲労が改善して、その代償に顔がテカる病気……」

「マヨネーズやめますか、それとも顔面テカりますか?」

 

 

 

その日の深夜、寒空の下お散歩をしながら帰宅していると少しお腹が減ってきました。

 

思い切って、コンビニで担々麺とシュークリームを購入します。

 

「コンビニの商品のみんな、オラに悪玉コレステロールをわけてくれ!」

 

元気玉を撃つ孫悟空のように、悪玉を大きく膨らませる情景を思い描きました。

 

「オラの体調、良くなれ~!!!」

 

ずきゅーーーーーーーん!!!!!

 

 

 

 

こうして、悪玉コレステロールを貯め込む毎日です。

 

体調は最悪だった頃よりだいぶ改善した気がします。

 

それでも時おり、帰宅する力も残ってない夜は、店の椅子に体を横たえたまま朝まで過ごします。

 

皆様も日頃から健康にはマジで気をつけて下さい。

 

 

 

なお、あの日コンビニで買った担々麺は、家に帰って開けてみたら「野菜増し増しタン麺」でした。

 

担々麺ではなくタン麺。

 

タンメンって肉が入ってないラーメンの事だったんですね。知りませんでした。